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独特な銭湯の建築様式

  • 執筆者の写真: 千裕
    千裕
  • 2018年10月3日
  • 読了時間: 3分

銭湯には、独特な建築様式があります。ひとつひとつ見ていきたいと思います。

宮造り

宮造り銭湯有形文化財の燕湯

関東大震災後に、宮造りというお寺のような外観の銭湯ができました。関東大震災で多くの銭湯を焼失した東京墨田区で、銭湯の建設依頼を受けた津村亨右氏は、宮大工の技術を持っていたので、多くのお客さんにきてもらうため、今までにない銭湯を建てようとなったのがきっかけです。

それが評判を呼び、東京に次々と建てられました。

宮造り銭湯の屋根は、唐破風(からはふ)になっており、「兎毛通し(うのけどおし)」が付いています。

唐破風とは、宮造りの屋根の形の名称で、唐破風の他にもうひとつの屋根の形があります。「千鳥破風」と呼ばれるものです。さらに、屋根の上の瓦も、本瓦葺きです。

唐破風は上部が丸い山形で裾がなだらかに左右に広がっているのに対し、千鳥破風は末広がりの三角形です。

「兎の毛通し」は、唐破風に付いている彫刻の名前です。一般的に、破風についている飾り彫刻のことを「懸魚(けぎょ)」と呼びます。懸魚は、木造建築の火災を免れる火除けのまじないとして魚の形をつけたのが始まりでした。この中で特に唐破風屋根についている懸魚のことを「兎の毛通し」と呼びました。兎の毛通しに多い題材として、鶴、鶴と松、また龍や波、鯉など縁起物が描かれたそうです。

脱衣所は、2階をぶち抜いたような高い天井吹き抜けで、格天井(ごうてんじょう)になっています。

格天井とは、号縁という木を格子状にくみ、間に四角い一枚板を貼り込んだ天井仕上げで、寺院建築によく使われる形式です。

この格天井が周囲の壁面4方向から局面で持ち上げられたものを「折り上げ格天井」といい、東京の銭湯はこの形式が多いです。

この宮造り銭湯は、東京では今でも見かけますが、脱衣所の吹き抜けや格天井のある銭湯は東京近郊エリア以外にはあまりありません。


タイル絵とモザイク画

銭湯にある絵と言えば、浴室奥の富士山などの風景画が思い浮かぶかもしれませんが、浴室の壁にはタイル絵やモザイク画が描かれていることも多いです。

昭和5〜6年に金沢の絵付けタイル会社鈴栄堂の社長がタイルの見本帳を持って全国を営業しました。東京ではちょうど宮造り銭湯の建設ラッシュで豪華な銭湯にタイル絵はぴったりだということで広まりました。いまでも、絵付けタイルの多くには鈴栄堂の銘が入っています。

現在残っているタイル絵の多くは昭和30年代までに描かれたもので、タイル絵の隅には絵師の名前が記されています。

小さなタイルを張り合わせて1つの大きな絵を作り上げるのがモザイク画です。それらのほとんどは昭和40年代までに描かれました。


坪庭

東京型銭湯には、坪庭を持つ銭湯があります。

火山岩を用いて滝を作ったり、池の中に大きな鯉を泳がせた風景を楽しむことができます。鯉は、生命力が強く「鯉の滝登り」「お客コイコイ」など縁起の良い魚として、鯉を買いたい銭湯経営者が大家tったと思われます。



煙突

伝統的な東京型の銭湯では、浴室の中央部に湯気抜きの煙突が見られます。

東京で最も多いのはコンクリート製の煙突で、雨水を弾く「シルバ塗装」という銀色のペンキ塗装で仕上げてあるものが多いです。

煙突の高さは、戦前まで戦闘を管轄していた警察の規定で、75尺(約23m)と決められています。


洋風銭湯

大正の末、東京で宮造り銭湯が流行っていた頃、関西では洋風銭湯が流行っていました。

大阪市の「源ヶ橋温泉」は日本の銭湯で初めて登録有形文化財となった洋風銭湯です。

また、町屋風の銭湯が多い京都にも「白川温泉」や「新地湯」などの洋風銭湯が建てられました。

洋風銭湯が関西で流行した理由として、最初から内風呂を備えた家が多かった郊外では客引きのために洋風の造りにしたのではないかと言われています。

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© 2018 by Chihiro Sento Igarashi

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東京銭湯研究家の銭湯千裕です。銭湯の魅力を伝えるべく、日々銭湯に通っています。

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