top of page
検索

「風呂敷」の起源は銭湯にあり。江戸銭湯の7つ道具

  • 執筆者の写真: 千裕
    千裕
  • 2018年9月28日
  • 読了時間: 3分

日本で最初に入浴が定着するきっかけとなった仏教の「温室経」に、入浴に必要なものとして7つ道具があります。


燃火(ねんか):薪 

浄水:湯水

漕豆(そうとう):豆類で作った洗い粉の一種

蘇膏(そこう):皮膚を滑らかにする薬品

惇灰(じゅんかい):樹木の灰汁で汚れを落とすもの

楊枝:歯を磨く

内衣(ないえ):仏典では、入浴時に他人の肌が接することを戒めています。日本語では、これを「湯帷子(ゆかたびら)」と言い、浴槽から出ると別の湯帷子を着て汗を拭きました。


温室教の7つ道具は、江戸の銭湯文化の発展とともに進化しました。

この記事では、江戸時代に実際に、銭湯で使われていた道具を紹介します。


湯褌(ふんどし)、湯文字、浴衣

湯褌(出典:https://yaplog.jp)

湯帷子は体を洗うのに邪魔になるため、平安から鎌倉にかけて、男性は湯褌(ゆふんどし)、女性は湯文字(湯巻、腰巻)になりました。安土桃山時代から湯帷子のことを浴衣と呼ぶようになり、模様を染めて外出着にも使用されるようになりました。

1825年の狂詩集「泥鵬台文集」によると、湯褌や湯文字は、江戸時代後期には使われなくなりました。


手ぬぐい

平安時代の文献に「た(手)のごひ(ぬぐい)」という言葉が登場しており、これが発祥とされています。手ぬぐいは、江戸時代に様々な模様で染められ、山東京伝による手拭合(てぬぐいあわせ)という手ぬぐい模様のデザイン品評会なども行われ、銭湯文化の普及とともに、手ぬぐい文化も発展しました。


ヌカ袋

江戸時代の日本では、体の汚れを落とすのに米ぬかを使いました。日本では、ぬかの入手が容易だったためです。ヌカ袋は、銭湯の番台で売られていました。江戸時代末期には、豆類の粉香料や薬品を混ぜた「洗い粉」が出回りました。ウグイスの糞、カラス瓜、へちま水など、様々な天然材が化粧品に混ぜて使われました。ちなみに、日本で初めて石鹸が使われるようになったのは幕末で、国産の石鹸製造は明治からです。


垢すり、軽石

垢すりは、呉絽(ころ)と呼ばれる硬い布地を手ぬぐいに包んで身体をこすりました。軽石は、銭湯に備え付けられ、かかとをこすりました。


手切り石、櫛、爪切りバサミ

手切り石は、こすり合わせて陰毛を切るためのものです。主に男性が使っていました。

櫛は、盗難防止のため、天井から紐で吊るされていました。当時の女性は、髪を洗うのが大変で植物性のふき油で櫛を使って髪をすくのが日常の手入れでした。髪洗いは月に1,2回程度でした。銭湯で髪を洗うのは湯も多く使うし洗い場が汚れるので禁じられていたため、自宅の縁側で洗っていました。銭湯での洗髪は、幕末には一部で行われていましたが普及したのは明治になってからです。

風呂上がりに、爪を切る人も多く、爪切りバサミも備え付けられていました。



当時、備え付けの桶を「小桶」、個人用に預ける桶を「留桶」と呼びました。留桶は、小判型で家紋や屋号が入れられてました。留桶は、毎年10月20日に新しいオケと交換し、代金は200文以上、五節句には200文つつむという決まりがありました。女性は、空き桶を探すのに苦労したため、留桶は女性の多くが使用しました。


風呂敷

風呂敷は、平安時代からありましたが、その時は「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていました。室町時代に、入浴のときに、平包を開いてその上で衣類を着脱したことから、風呂で敷く布ということで、風呂敷と呼んだのが始まりです。江戸中期からは入浴に限らず、ものを包む布を風呂敷と呼ぶようになりました。江戸中期の銭湯では、脱衣かごや戸棚が用意され、風呂敷は次第に使われなくなりました。

Comments


IMG_2358.JPG
PROFILE
  • White Facebook Icon
  • White Instagram Icon
  • White Twitter Icon

© 2018 by Chihiro Sento Igarashi

  • White Facebook Icon

東京銭湯研究家の銭湯千裕です。銭湯の魅力を伝えるべく、日々銭湯に通っています。

bottom of page